ネット隠居をしているという話でまだ割とメディア遮断も含めて過ごしてるんだけども、こうして過ごしてみると、(何も見たくない!って感じの嫌悪感は薄れてきたので精神的にはちょっと健康になりました)
さしてオタクらしい考察話もしない(SNSに行かないので)し絵は描いてもジャンルとかの問題で上げたりしないしで、オタクらしくない生き方になってるのでは?と思わなくもない。
ちなみにアニメもプライムで地獄先生とか鬼滅とかデカダンスとかをちょいちょい見てる。
アニメは元から世界も動きも綺麗に描き出されてるので二次創作したい!とはあまりならないんだけど鬼滅の累くんの見た目とバックグラウンドがとっても好みです。感想おわり。
あとアニメを観ているとはいえ、あんまり何もかも遮断してばかりだと肉体ばかり歳取って頭とかが全く進展しない感がするので本を読むことにした。
図書館で借りると返さなきゃいけない以上は積ん読にできないので、とりあえず返却期日までには一回は読み切ろうかなという気持ちがきちんと働いてすごくいい。なんでこんなのが非営利でやってるんだ……。
読んでから創作の考察練ろうかなと思って取り組んでみると、意外と見識がちょびっと広がってるのが分かるというか、この本読んでなかったらこんなの思いつかなかっただろうなというアイデアが出たりするので、ハ〜活字ってすごいねと実感してる。(ちなみに哲学の本読みながらファンタジー創作の世界観を考えていてそんなことを実感するのであった)
Twitterでだらだら喋ってると自分はクソ診断とシェル芸愛好家の変質創作系絵描きだという自己認識でいられたけど、
一回遮断してみるとなんかもう霧以上にボヤボヤの輪郭しかなくなってて、アイデンティティを見失いそうというか、かえって見直すチャンスがありそうというか、本来自分の作りたいこととかって何だったんだっけ……って思い出せそうな気がする。
(でもこれ完全にTwitterに人生傾けてるツイ廃の人の言うことだよ……)
で、思い出しかけていることとしてChaoticaとかの抽象絵をもっとやりたいとか暗い神話創作をしたいとかがあるんだけど、普通に自他ともに認める絵描きになりたい人間としてはなんてウケの悪そうなジャンルなんだ……と落胆しかけていたりする。
暗い作風で世の中闊歩してる人ってどういう踏み出し方をしたんだろう。不思議。
おわりに最近からちょいちょい遊び始めてるStructureSynthのウケの悪そうかもしれない絵を貼る。壁紙使用自由。ここまで読んでくれてありがとうございます。
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